ホーム > 追悼 マントヒヒマスター"クマ"

追悼 MANTOHIHI(マントヒヒ)マスター"クマ"

ジャズ喫茶マントヒヒの最初のマスターは"クマ”と呼ばれていた木村洋二です。クマはマントヒヒ開店前の工事期間に参加し、ステレオシステムを構築した。マントヒヒ開店後は「彼の存在自体がヒヒの性格になって行った。」(森清高)と書かれるように、木村はヒヒの精神を最初に作ったマスターだった。しかし、ヒヒでの在籍期間は短くヒヒが軌道にのるや京都大学にもどり、後に関西大学教授(社会学)となる。笑いを数値化して「アッハ(aH)」という単位で表す装置の開発、笑いによる健康効果を検証する研究に取り組んでいたが、2008年8月19日肺がんで死去。ここは"クマ”こと木村洋二を追悼する場所です。

木村洋二君が「クマさん」になる前のお話し
2012/04/15 森 清高
1966年4月京都大学での出会いから、マントヒヒ以前からの木村洋二のエピソードが紹介されます。